骨折7日目10/20
朝を迎える。痛みに慣れ始めているので10のうち6ぐらい。
引き続き微熱が続く。浮腫みがやばく手がパンパン。
この日も食欲無くヨーグルトのみで昨日同様6時間毎に薬を飲む。
とにかく暇で時間が過ぎるのが遅くネガ思考が悪化するのが自分で分かったため
WEBで少女マンガを買い捲り読み続けた。
夜になり主人帰宅。
痛みは10のうち5くらい。唸りもんどりうつ程の痛みではないのは確かなので
体は少しづつでも治ってきているのを実感し少し気が楽になる。
少し気が元気になったのと明日外来で外出のため、勢いでシャワーを浴びることにした。
子供の頃骨折したとき、ビニールを巻いて風呂に入っていた。
念のためググるも現在もビニール巻き巻きシャワー法は変わっていないようだった。
肩下のギブスの一番上部分にタオルを巻きその上にビニールを巻く。
中に水が入らないように肩部分をゴムで留めた。
シャワーを体に浴びた時、言いようもない幸せを感じた。
なんならちょっと泣きそうだった。
普段風呂めんどくさいな~なんて思う時があったが自分をブン殴りたい。
風呂は命の洗濯 とても良い言葉だ。
風呂から出て主人に風呂の素晴らしさを興奮気味に伝えるが流される。
明日あさっては土日のため主人は休み
明日の手術後の初外来に付き合ってもらう。
せっかくの休みに自分の介護をさせてしまい本当に申し訳ない気持ちのまま
浅い眠りを繰り返した。
骨折6日目10/19
朝を迎える。痛みで体力が尽きたのか1時間程寝落ちできた。
6時間空けつつロキソニン摂取を続ける。
主人はそのまま出勤、痛がり方が尋常ではないため、かなり心配かけてしまう。
微熱が続き37.0前後をうろつく状態。
朝9時を回り、痛みが10のうち7ぐらいになったため
病院には行かず自宅待機を決めた。
ひたすらベッドの上に座椅子を置いた状態で斜めにし、
左側にはクッションの類を積み上げて左上を乗せる。
どうしても逆側を向きたいときはうつ伏せで逆になり腕を頭側に伸ばし下にタオルを敷いて耐え続けた。
時々数分寝落ちを繰り返す。
手術翌日の地獄の痛みは一生忘れなさそう。
やることもないのでひたすら携帯から動画を見続ける。
手があまり大きくないのでiPhoneの操作が辛い。
骨折日の土曜日からこの木曜日までシャワーを浴びれず歯磨きのみだったので
かなりの不快感が纏わりついていた。
夏じゃなくて良かったと心底思う。
相変わらずどぅいんどぅいんという強い痛みと切った箇所の焼けるような痛みが続く。
夜になり主人が帰宅。
何かいろいろ話した気がするが記憶が無い。
この日もヨーグルト半分のみ食べて6時間毎に薬を飲みろくに寝れないまま終わった。
きっと痩せるんだろうなと淡い期待を抱く。
骨折5日目10/18(退院日)
寝れないまま朝を迎える。
朝ごはんも食欲無くほぼ食べれず、ヨーグルトのみ。
昼までの時点で今日退院するのかどうなのかの話はなく、鎮痛剤を足しながらひたすら痛みに耐え時間が過ぎるのを待つ。
ちなみに半分のギプスみたいなのが手術後に付けられていた。半分だけど重い。
昼過ぎになりようやく先生が現れ、
「鎮痛剤なしで痛みがないようだったら今日退院してOK、痛いようだったら明日まで入院でもいいよ」と言われ悩む。
「今日退院なら土曜日10/21に外来来てね」
先生からの話はそれのみで、
術後のレントゲン写真を渡されて先生は去っていった。相当忙しいのか手術着だった。
以下術後のレントゲン写真↓
おーすげーと思ったけど痛みで正直それどころじゃなかった。
午後になり痛みがほんのり緩和してきた。
緩和といっても10のうち7くらい。少し慣れてきたのもあると思う。
鎮痛剤投与中止し、数時間後痛みがさほどでもないようなら退院しようと決める。
(退院自体は夜でも良いと言われていました)
ここで選択ミスをする。
夕方になり痛みに関してもまだまだ痛いけど我慢できるレベルかな と判断し退院を決意。
実は主人がこの日のみ上司様のご厚意により休みが取れたため、
できれば今日退院をしたい、という気持ちが強かった。
これがバカだった。
主人が来てくれて退院手配。
高額療養費支給申請書
を申請していなかったので、清算はその申請が終わった後のほうが良いと病院から言われその場での支払いはせず帰宅。
この時に携帯の充電器を忘れる。(バカ)
タクシーで帰宅するも、その時点で腕がめっちゃ痛い。
「いや、もらった痛み止めあるし大丈夫だろう」と思いつつ帰宅し猫と触れあいホッとするも明らかに痛い。
もらった薬は
全て飲みベッドに座椅子を置き斜めの体勢にして休む。
でも全然痛い。
病院に居た時のどぅいんどぅいんという痛みに合わせ明らかに手術の傷口部分も焼けるような感覚の鋭い痛みを感じかなり動揺する。
退院を早まったと痛感。痛みでとにかく悶える。
耐えられなくなり病院に電話、この時点で午後20時を過ぎており救急体制になっていた。
事情を話し何か手は無いか駄目もとで聞くも、
「もし今来院されても救急なのでもらった薬と同じロキソニンを処方するくらいしかできない」と至極当たり前なことを言われ絶望。諦めてお礼を言って電話を切る。
ただ事ではない痛みだがとにかく朝まで耐えて、無理であれば朝一にまた病院に行くことを決意しひたすら時間が過ぎるのを待った。
この時に
「こういう経験をした人はいないか」ととにかくネサフして、
とても参考になるサイトさんやブログさんがあって感謝している。
一瞬寝落ちできたりしても痛みと体勢がキツく体勢を変えるなどして朝を待った。
骨折4日目10/17(入院2日目手術当日)
朝になり、14時に手術始めますと看護士さんに言われる。
今から水も飲んじゃ駄目と言われる。
全身麻酔なのでどなたか付き添いの方をと言われた為、父を召還。
緊張と痛みでしんどい時間が続く。
14時になり父到着も中々呼ばれず結局呼ばれたのは15時過ぎ。
自分で歩いて手術室まで行き寝かされる。
おでこ周辺にチクチクするものを刺されてビビる。
「めっちゃ緊張するめっちゃ緊張するウヘァ」みたいなことを苦笑いしながら連呼してた記憶。
いよいよ麻酔、
「あとちょっとしたらクラクラしますよ~^▽^」と言われ、
マジかよと思ってたらものの7秒ぐらいで意識が飛ぶのが分かり
「よろしくおねがいします」と言い落ちた。
死ぬときってあんな感じなんだろな、、、
「終わりましたよー!」と声が聞こえ目が覚める。何か夢を見た気がするけど覚えてない。
ストレッチャー?か何かで病室に運ばれるとき父が笑ってるのが見えた。
17:30くらいだった気がする。
ノドがアホみたいに乾くけど水は20時まで飲んじゃ駄目と鬼のようなことを言われる。
全身麻酔で気道がなんたらかんたらなので飲んじゃ駄目らしい。
完全に麻酔が覚めてからがとにかく地獄。
どぅいんどぅいんどぅいん
というとにかく強い痛み。痛いしか喋れず涙が出そうだった。
うなり声をあげてしまうときもあった。どの体勢でも痛みがマシになることがない。
それととにかく喉が渇き、
早く水解禁の20時になれとひたすら祈った。
看護師さんを呼び痛すぎてアカンと伝え痛み止めの点滴するもほぼ意味無し。
主人にラインをし夜間見舞い来ても困らせるだけだからと伝える。
20時をやっと超え、水を少し飲む。
ひたすら痛みに苦しみ、寝落ちもできず朝を迎えた。
骨折3日目10/16(入院1日目)
主人は仕事を休めないため実家の父に連絡し病院の付き添いをお願いする。
2時間ほど待ちCTを撮り、診察へ。
(以下CT写真です、骨の色も分かるのでちょっとグロい)
CTすごいと少し感動と共に自分の骨に悪いことしたなと謎の罪悪感が湧いてくる。
改めて担当先生に状況説明をして頂くと、
①全身麻酔で手術
②離れてしまった肘頭が小さいので、切開してみて必要であればプレート入れる。
恐らく入れることになる。
③関節も潰れているから治す
④プレートを入れた場合は10ヶ月以内にもう一度にプレートを抜く手術をする。
⑤後遺症として、リハビリしても「肘の曲げ伸ばし」の「伸ばし」が怪我前ほどまっすぐにならない可能性はどうしてもある。
と淡々と説明して頂きすごく分かりやすかった。
状況として「綺麗な骨折」ではなく「なかなかぐちゃついてる骨折」らしい。
重ねて「まだ若いので骨の治りは早いよ」との事。
若いと言われて嬉しくなってニヤついてしまったからもう完全に心はおばちゃまだと思う。
引越しを控えていることを話したら早いに越したことはないと仰り
明日手術しましょう、今日このあと入院してねと言われる。
術後痛くなかったら明後日退院ねと言われ早い流れに驚きつつ了承。
ここで今回の骨折の名称を教えてもらう。
「左肘頭骨折」
手術法は
「観血的整復固定術」
というものでした。
入院準備と職場に説明のため一旦病院を出る。
職場に行き説明をしとりあえず今日から一週間休む了承を得る。
勤務形態はアルバイトのため今回の件で傷病手当が出るのかの確認もお願いをする。
駄目だったら有給を使う予定。
そのまま父と別れ帰宅し入院準備をする。
ここで一番大変だったのが「ネイル落とし」
病院でネイル落としてきてねと言われたが
よりによってゴテゴテのラメを付けていたので落とすのに一時間かかる。
ようやく落とし終わり猫に挨拶をして病院に向かう。
病院に到着し、入院保証金の10万を支払う。
「エコノミー症候群にならないための靴下」
を病院規約で入院患者全員に購入させているとのことで2500円の靴下を買う。
3人部屋に通され浴衣に着替え、夕飯が運ばれてくる(とてもまずい)
完食しやることがなくなりひたすら痛みと戦いながら携帯をいじり就寝。
ただし痛みと緊張と何回も目が覚める。
年配の方々が多く、意味不明なおたけびを上げるおばあさんがフロアにいるようで
少し怖かったり、看護師さんに喧嘩ふっかけるおばさんの声が聞こえたりと
現代社会の闇と現実を見た気持ちになった。
骨折翌日10/15
痛みはあるがなんとか耐えられるレベル。
引越し間際に主人に多大な迷惑をかけてしまうことと、純粋に出費が増えること、
今まで組んでいた色々な予定が狂ってしまったことについて謝罪の一日。
自己嫌悪で胃も痛かった。
ひたすら氷をあてて安静にしていた。37.0前後の微熱が出始める。
腫れむくみがかなり酷いのと、右手側の肘のすりむき傷が相当酷かったのに今更気付き驚く。(服が血だらけでした)
骨折の痛みで酷い擦り傷の痛みをほぼ感じないので人間の体すげーなと感心する。
手術ってどうやるんだろうとビクビクしながら過ごしつつ冷静に振り返る。
自己嫌悪ばかりだと頭がおかしくなりそうだったので、
「今回の骨折した中でマシだった点」を考える。
①自分ひとりで怪我した事。
他の人を怪我させたり、何かを壊したり、ということをしなかったこと。
②利き手の右ではなく左手だった事。
③頭やお腹ではなかった事。
④骨が突き破る解放骨折ではなかった事。
⑤きちんと治療すれば必ず治る怪我だった事。
を繰り返し考え気休め程度に自己嫌悪が1mmくらい和らぐ。
この日もあまり眠れず。
骨折当日10/14
2017/10/14 夕方
隣駅で友達と遊ぶ約束をしていた。
ハンドルに傘をぶら下げながら小雨の中隣駅に向かう。(大バカ)
傘をさしながら自転車に乗るつもりはなく、
現地について自転車を降りてから必要かもな?の気持ちでした。(もちろんそれでも駄目なことです)
お察しの通り前輪に傘が引っかかり大転倒。
さすがに「うぎゃあ!」と変な声が出た。
かなりの勢いで地面に叩きつけられ、両肘で着地をしてしまった。
本能なのか左肘をさすりながら起き上がる。
起き上がった瞬間左肘の骨がいつもと違うところにあるのが触って分かり
「あ これ砕けたな」と感じました。
鋭い痛みと脂汗が酷い中自転車をなんとか道端に寄せ自分を落ち着かせようと必死になる。
近くで遊んでいた夫を呼び、約束していた友達に事情を話し謝罪。
そこで目撃していたおば様がご親切に救急車を呼んで下さる。
救急車、おまわりさんが来て事情を話し救急車に乗ってすぐ近くの大きい病院の救急へ。
待っている間、
「砕けたと思ったけどこれ骨折じゃないんじゃね???」と思ってきた。
理由は
①小学生のときに(その時もアホな理由で)左上腕骨を骨折したが
骨折直後から激しい痛みと寒気、吐き気?があったが今回は
暑い。当時の感覚と明らかに違う。
②肘も指も痛いが動かせる。
・・・・・・・・・・レントゲンを撮っていかに自分の感覚が当てにならないかを思い知る(レントゲン画像注意)
完全に肘頭が割れて離れてる…骨折中の骨折である。
結局怪我直後の「あ これ砕けたな」が当たってました。
救急医の先生から「これは100%手術ですね」と言われる。
実は再来週に引越しを控えており引越し自体のキャンセルできない状態、
他引越しに関してやることが沢山あるので
引越し後に手術では駄目か?ととんちんかんな質問をする。
先生はバカかおまえと言いたいところを抑えて下さったんだろう、
①この骨折は自然に治りません。
②手術しない限りずっと痛いです。遅ければ遅いほど手術内容や術後の後遺症のリスクが高くなります。
③絶対にここ数日で手術しなければいけません。
と優しく説明していただく。
後ろで聞いていた主人にも「いや何言ってんの?」とややキレられる。
この病院では予約が一杯なので手術ができません、紹介状を書きます、と言われる。
最寄駅で7駅ほど先、乗車時間は15.6分程度だがそこから徒歩10分の病院。
この日は土曜のためとりあえず帰って月曜に行って下さいと言われる。
先生より「とにかく氷で冷やしてください。」と言われ三角巾をして帰宅。
約束を蹴ってしまった友達に報告がてら帰宅直後撮った写真。
すでに指がパンパンに腫れ始めている。念のためすぐ指輪を外しておいて良かった。
先生に言われた通り氷をあてながら何とか眠る。